セーラー服の一生

杏南15さいの人生

縁日に風情などなかった

ロックバンドが演奏を披露し、ケバブの移動販売やフォトジェニックな飲み物を売るテントが連なり、ナチュラル系雑貨屋がキャンドルや骨董を売っている。

そんなのどこのフェスだよ。アラサーのインスタグラマーが好んで写真撮りそうなやつ。

近所の神社の縁日の様子がこのサマなのだ。

ここの神社の縁日(正しくは夏祭りか?)が悪い方向に現代的になっていったのはわたしが小学校高学年の頃くらいからだったと思う。つまり4-5年まえのこと。

それ以前は、ドラえもんのカステラやたこ焼き、ヨーヨーつりなどの一般的な屋台が並んでいた。しかし、ある年を境にだんだんと車の移動販売の食べ物が増えていった。今思えば、それが現在の有様になる兆候だったのだろう。ある人が言うには、テキ屋との関係が面倒なことになり、神社にそれは不適切だということで飲食物は移動販売のみになったといううわさだが…

祭りの様式が変わっても、変わる前と同じく祭りにいる人がなかなか少ないのがこの神社の魅力だった。花火大会のような圧迫感はなく、境内に並んだたくさんの黄色い提灯を眺めては夏が終わりに近づいていることを憂うというのは非常に風情があると子供ながらに思ったものだ。

だが、今年は、冒頭に記した通りに完全に"インスタ世代寄り"の祭りになってしまっていた。

この祭りは本来ならば、盆に帰ってきた魂のためにあるはずだ。今年に身内が亡くなった家からは灯篭を出すのがこの祭りの伝統である。

それが、ただ人が楽しむだけのものになっていた。だから境内にいる人は少なく、鳥居を入ってから境内の下までにものすごい人がごった返して、レモネードやらおしゃれなカクテルやらを飲んでいる。人口密度は去年までの比ではなく、身動きが全く取れない。まるで有名な画家の展覧会の最終日みたいだ。

神社の関係者はそれでいいのか?使者たちもそれでいいと思ってるのか?

おそらく今年の祭りの企画には、おそらくイベント会社が一枚噛んでいるだろう。とにかく今年の祭りには風情など何もなく、ただうるさい、おしゃれ、インスタ映え、というものばかりの浅はかすぎるものだった。来年からもこんな様子ならば、二度とあの神社の祭りには行かないだろう。
わたしはまだ15の若造だから昔の祭りなど無論経験していないし、盆踊りに懐かしさを覚えることもない世代だけれどもこういう祭りはおかしい。わたしですらおかしいと思うんだから、近所のおじいちゃんおばあちゃんはどう思ったのだろうか。
伝統が廃れていくことに憤慨しつつ、それを哀しいと思わない人が大多数であろうことを悲しく思っている。



あなたの愛する祭りに、そういう予兆はないだろうか?